【リトリート】
隠居。避難。また、隠居所。隠れ家。避難所。
仕事や家庭などの日常生活を離れ、自分だけの時間や人間関係に
浸る場所などを指す。
(デジタル大辞泉より)
「リトリート」と「仕事」という一見正反対のことを一気にまとめて行うと、人間はどうなるのか…
という人体実験レポートの、最終編をお届けします。
前記事の最後にも書きましたが、今回のレポートはかなり観念的で雲を掴むような表現になるかと思います。
しかしその不分明で理由の分からない状態こそが「リトリートの効果」の核であり、例え不十分であっても言語化したいと思える「理(ことわり)」だと感じました。データや明確な効果効能としての成果を示せない以上、ビジネスの提案にはなり得ませんし、「効果には個人差があります」という陳腐な逃げ台詞を使わざるを得ません。それでも「社会人が6日間リトリート環境で過ごしたら、こんなことが起きるよ」という結果を報告させてください。
【初日】環境を変え、体力を消耗させて脳をリトリート状態までソフトランディングさせる。「頭の疲れ」に敏感になった。
【2日目】デジタルデトックスを継続、集中して「仕事→小休止」を繰り返し、外界が気にならなくなった。
【3日目】ビジネス書がしんどくなり、文芸作品が頭にスルッと入るように。味覚が鋭くなり、深夜に頭が冴えた。
【4日目】朝、時間感覚が消えていたことに気付く。
過去記事はこちらから
その① プロローグ
その② 準備編
その③ デジタルデトックス
その④ 変化
バケツがひっくり返ったかのように…
4日目の朝、急にリアルの時間感覚がよみがえった後の数時間はパニック状態でした。
急に「出したい」という欲求に襲われたのです。この「出したい」とは「アウトプットしたい」と意味です。前日夜、急に仕事が進みだしたのはこの前兆だったのでしょうか。突然脳内にぱぱぱぱっとビジュアルイメージを伴う言葉が浮かび、脳内いっぱいに広がったのです。
なんだなんだ、いつものボンヤリした思考とは全然違う、この明瞭で臨場感のあるイメージたちは…
そのイメージたちはただの思考の散らかりではなく、まるでパズルのようにカタカタ組み合わさり、あとは私がリアルの世界に「押し出す」のを待つだけという状態にまでなっています。
今思えば、このとき脇目も振らずにPCに向かい一心不乱に書き物をしていれば、半端ない集中力の中であり得ないクオリティの何かが仕上がっていたかも知れません。
しかし残念ながらその瞬間は自分の変化にパニックになるばかりで、ひっくり返ったバケツから小魚たちが海に戻っていくのを為すすべもなく見送っていた…というような状況でした。
そして更に残念なことに、その朝は連泊した宿をチェックアウトする朝でもありました。私は「なんだなんだ」という混乱した頭のまま、雪の降る中キャリーケースを引っ張り、ぶつぶつ何かをつぶやきながら駅までの道を歩いたのでした。
ジャンク情報の多さにつらくなる
電車の中で久しぶりにスマホを使ってみて、ネットニュースの読みにくさに驚きました。
流れすぎる、早すぎる、ジャンクすぎる、どうでもよすぎる。
あっという間に目と頭がジンジン疲れ、またもや混乱します。とにかくインプットがしんどく感じます。
何かを読むより、さっき脳内に浮かんだものを出したい、出したい、早く出さないと忘れてしまう、と焦る気持ちが生まれます。これは便秘みたいなものやな、と思いました。私たちの無意識には大量の「出せるもの」が眠っているのに、普段は上からジャンクな情報を有無をいわせず詰め込んでいるため、出るに出れない状態が続いています。
しかしリトリートにより脳がナチュラルな状態に戻ることで「栓」がポン!と抜け、無尽蔵のアイデア、ひらめき、思考がリアルの世界に飛び出し始めます。これは決して特別なことではなく、人間本来の脳の力なのでしょう。
普段は、考えていることの「1%程度しかアウトプットできていない!」
日頃、時間に追われながら「仕上げた」と思っていたものは、まったく「仕上がっていなかった!」
それに気が付いたその日の移動時間は、「潰す時間」ではありませんでした。出したい欲に向き合い、出そうなものを受け止め、自分なりに考えをひねくりだす時間でした。
しかし、いくら脳からイメージが溢れ出て来るといっても、世に出せるまでに仕上げるには体力が必要だということも実感できました。良いアウトプットとは、決して次から次へサクサク処理をして生まれるようなものではない。
そしてジャンク情報を量産するより、ひとつでも、宝石のような知恵や後世に残る価値観を生み出したい。それにはアウトプットにもっと時間をかけていいし、片手間にやっつけるなんて思ってはいけない、と身体全体で認識しました。
リトリートで得られる、「脳からあふれ出るインスピレーションを操る快感」は、「作業」で得られるものとは対極にあります。集中し、深く潜り、そのインスピレーションにたどり着くためには、まず「数をこなす」「効率よく進める」などと考えていては逆効果なのです。
リトリートと仕事は…
さっき感じたネットニュースの「読みにくさ」の原因は、誰か(ライター)が、何か(時間や制約)に縛られ、「効率よい説明」に逃げてしまっているからだな、と思いました。
説明するだけの文章の、なんて面白くないこと!(自戒を込めて!)
しかし、仕事とは「説明」の連続です。
つまり、この「説明」が面白くなれば、きっと仕事は面白くなる。
すべての人にとって。
リトリートの難しいところは、自分の脳内に変化を起こすことを、自己啓発本でも食べ物でもなく「非日常の環境」にゆだねるというところです。都会のアレコレに毒された状態から「環境と五感に身をゆだねる」のは、慣れないと短時間では不可能です。
またそこにリトリートと相反する「仕事」という要素の持ち込みは、自分を「緩める⇔締める」のどっちに振り切れば良いのか定めきれず、結局どっちつかずになり両立はできないのではないか。
私も初めはそう思っていました。
しかしリトリート状態を経てアウトプットされる「いつもより純度の高いなにか」… これはその人の職業によって変わるでしょう。アイデア、企画、音楽、私なら文章、また集中力を必要とするさまざまな手仕事たち…
それが、その人の「仕事」を面白くするなら。
リトリートと仕事は、両立できます。
自分と、人と、向き合え!
そもそも「緩急のコントロール」はもともと日本人の得意とする分野でもあります。脳を思いっきり遊ばせる、感覚をフルに使う、深い集中から瞬間の技を繰り出す…これらの「緩める」「締める」をわざわざ正反対の場所に置いて「別物」にしているのは、本来持っている脳の柔軟性を忘れてしまった現代人のエゴではないでしょうか。
脳の力を制限し、ジャンクな情報の処理に無駄なエネルギーを使わせ、生きるための動き以外をつまらなくしてしまったのは私たち自身です。子どものときは自然に張り巡らさていた感覚受容のアンテナは、大人になるとどこかに格納されてしまいます。
話題の漫画ですら、昔のように時間を忘れて読むことは少なくなります。コンテンツ自体は刺激的に進化しているはずなのに、なぜでしょう。それは退化?老化?それともアンテナの向きの問題?
しかし、五感の使用は難しくはありません。向き合えばいいのです。人に向き合うとき、五感を使いますよね。相手の言葉に耳をすまし、その瞬間に対峙しますよね。その「感覚」を普段からシャープな状態に保てたら、人間関係や仕事が想像以上にスルスルと進むさまをイメージしていただけるのではないでしょうか。
わたしの【まとめ】
4日目の衝撃があまりにも大きく、「リトリートの秘密を探る」ことに力尽きた私は、5・6日目はひたすら集中して作業を進めました。時間に追われるなといつつも、残念ながら私はアーティストではなく会社員。目標に対するある程度の結果は必要です。
しかし「持ってきた仕事を仕上げた」以上に、私がリトリートから得たものは大きかったと思います。
●野生の、人の基本的な状態に立ち返り、そのベースとなる身体と脳の調整ができたこと。
●ジャンクな情報でいっぱいの脳のゴミ箱を、一瞬でも空にできたこと。
●決してリラックスやスピリチュアルな何かではない、無駄を省いたシャープな思考を体験できたこと。
●仕事をめいっぱい面白くするための「アウトプットの質の向上」のヒントが手に入ったこと。
たった6日間の「リトリート×仕事」で、こんなにも収穫があるとは思いませんでした。
そして、今回のリトリートを通じて一番感じたのは「脳を思いっきり遊ばるって、気持ちいい!」という感覚です。こんなに気持ちいい経験、しないなんてもったいない。そしてこの快感は、バカンスや現実逃避で得られる開放的快感とはまた違う、「仕事そのものから快感を得るための快感」という何ともポジティブなものであるのが凄い。
(できることなら、月の半分くらいはSNSをシャットアウトして、季節折々を感じながら自然の中にこもって仕事がしたいな)
何もかも投げ捨てて田舎で世捨て人のような生き方をしなくても
何もかも耐えて都会で息苦しさにすら気付けない仕事をしなくても
自分の可能性をもっともっと遊ばせ、仕事の純度を上げ、アイデアをどんどん出せる「脳内環境」を整えることは、人生を賭けたりせずとも「たった数日のリトリート」で可能になります。
「会社以外で仕事なんて!」と思いますか?この選択できるご時世に、古い価値観に縛られていては、自分の、組織の、チームの可能性を伸ばせずに終わってしまいますよ。
「リトリート×仕事」は決してレクリエーションでも修行でもなく、「生きるいとなみとしての仕事を、人生に沿わせてより面白くするための自分の脳の仕組み作り」に役立つ、セットアップのための時間です。
すべてのビジネスマンに、この実験結果を捧げます。
ありがとうございました
5回に及ぶレポートをお読みいただき、ありがとうございました。株式会社Flucleでは、これからも人の持つ可能性を最大限に引き出すためのヒントを、皆さまに提供していきます。
今後もさまざまな角度からの試行錯誤を重ね、このブログにて発信させていただきます。引き続きのご愛読を、よろしくお願い致します。